藤山ゼミ4月18日議事録
「火事場」「修羅場」「鉄火場」
といったアドレナリン放出必死の極限状況があるとして、
その様なシチュエーションで演技をすることを考える。
充分に自分が演技しきれるかどうか。
貧しい身体、脆弱な精神しか演者が持ち合わせていないとする。
……それで、演者はその「場」にふさわしいヒーローやヒロインを演技し得るのか?
現実で(=稽古場で)準備しなければいけないことはなにか?
「台本読解能力」と「表現力」が演劇の2本の柱。
上手く演技できてないと思うなら、それは「台本の読み込みがズレてる」のか、「演技の表現力不足で観客に届いていない」かのどちらか。
未熟な演技は、作品世界のスケールを小さくする。
豊かな(老獪な)演技は、作品世界のスケールを大きくする。
別の角度からの問いかけ……。
あるいは、四肢、五感の一部が自分から失われてしまうとする。
「その自分」が、観客を説得するには、どんな演技が要求される?
ハンデを超えるような演じ方を、リアルにイメージできるのか。
例えば、ハンデによる同情が存在するとして。
それを覆してなお感服させるだけに足る、更なる努力をイメージできるのか?
演技者は舞台の上で倫理とは無縁でないと。いや倫理すら織り込み済みの、冷徹な批評の視線を持っていていい。
想像する(イメトレする)ことは無意識を言語化することであり、
言語化することが、技術向上の一歩目である。
それをしないことには何も始まらない!!
(当日の話題の一部を掲載しています)
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